慢性膵炎な私の毎日(初代)

2005年5月~2007年2月にかけて、体調が最も悪かった時期のブログです。

「お寂しくなりますね。」2006年05月13日 22時37分47秒

ちょっと前ですが父の満中陰の法要が終わりました。その後香典返しをいろいろな方にお渡しする際に、
「お寂しくなりますね。」
という御挨拶を頂きます。
その時少し戸惑うのは、父の死をほとんど寂しいと思っていない自分がいることです。

父も80歳代の半ばでしたので大往生であるという思いがあるからかもしれません。また葬儀での親族代表の挨拶では途中から悲しみで喉がつまって挨拶がろくにできませんでしたので、全くなにも感じない訳ではありません。しかし、日常の中でふとした寂しさ、というものは一切感じないのです。その一番の理由はやはり父に対する愛着の薄さであろうと思います。

父は自営業でしたが仕事をろくにせず、ギャンブルに凝り、母や私たち4人の子供を苦しめました。私が大学にいる時もサラ金で多額の借金をして一時は家を売ることさえ考えなければならない状態でした。
幼い頃は可愛がってもらった記憶はあるのですがその後の行状が子供の頃の愛着の念をすっかりうち消してしまったのか、思春期を過ぎてからは十年以上もほとんど口をきいたことがない、という状態でした。

愛着の対象を失うと悲しいものでしょうが、父という肉親を失っても、その対象への思いがこれほどまでに乏しい、ということは、それ自体が別の意味で悲しいことだと感じます。

「お寂しくなりますね。」
と言われて、時々、
「いや、それがそうでもないんですよ。」
と答えてしまったりします。

相手を戸惑わせている今日この頃です。
 

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_ shiba ― 2006年05月16日 23時16分29秒

不謹慎かもしれませんが、私もそうでした。
母が20年以上前、52歳で膵臓癌で亡くなったのですが、他人に「お寂しくなりますね。」と言われても実感がありませんでした。
確かに、悲しくないことはないけれど、母は精一杯生き、癌に苦しんだあと楽になったのだからもういいという思いがありました。
それから、当時のことでしたから本人にはもちろん告知せず、知っているのは家族だけ、親戚知人すべてに嘘をつき通したので、やっと開放されたような気がしました。(もっとも、本人はうすうす感づいていたと思いますが、私たちには問いただしませんでした。)

亡くなったあとも、これまでいなくて寂しいと思ったことはありません。(負け惜しみではなく何故か本当に)

私は今45歳、だんだん母が亡くなった年に近づきます。
昨年、膵炎と診断され、やっぱり母が「無理しなさんな」と教えてくれたような気がしました。
とにかく身体をなだめつつ長生きするのが目標です。

_ カオル ― 2006年05月17日 23時40分51秒

膵臓癌というと人ごとではないような気がします。コメントを頂いて、ちょっと趣旨とは違うかも知れませんが、もし自分が患者だったら告知をしてもらった方がいいかなぁと考えていました。で、思ったのは、治癒の可能性がある場合は言ってもらってもいいが、そうでない場合は、案外知らされない方がましかもしれないなぁ、ということです。仮に膵臓癌ですと、自覚症状が出ると望みはないようですし、ま、その場合は言われなくてもわかるわけですが、でも最後まで癌とは知らされないで、まだまだ治るかもしれない、と信じて闘病生活を送る・・・でも家族はつらいですね。う~んやはり知らされる方がいいのかなぁ。

_ おかみ ― 2006年05月18日 00時54分37秒

お久しぶりです。告知のお話が出たので、一言。
私は、告知して欲しいと主人に頼んであります。
「治癒の可能性あり」なら、治療に全力をつくし、
「治癒の可能性なし」なら、いろいろやりたい事やっておき、
行きたい所に行って、会いたい人に会っておく。
身の回りを片付けもしなきゃ。こんなんでいきなり死んでしまったら恥ずかしい状態なんで、我が家は(苦笑)。
私が以前、癌の疑いがあると言われて、それを主人と話し合って決めました。ただ、主人は怖いので最後まで隠して欲しいそうです。
だいたい男性と女性では、そういう風に意見がわかれるらしいです

_ ひでお ― 2006年05月18日 07時44分46秒

告知はして欲しいですね。

強いうつ状態にあった頃、慢性膵炎と言われました。最初は良くわからなかったのですが、後に自分で調べて一時的には落ち込みましたが、長年の身体の不調の原因がはっきりして却ってすっきりし、うつ状態から抜け出すきっかけのひとつになりました。

訳が分からずに苦しむより、原因が分かり見通しが立てば、おかみさんの言うようにやるべきことがはっきりするので、隠して欲しくないと思います。

それにしても、いざとなれば女性は強いです。(^^;

_ カオル ― 2006年05月18日 22時18分40秒

ひでおさん>私もひでおさんと同じ感想を持ちました。やはり女性の方がいざとなると強い・・・・・。父親が、もうどう見ても体調の回復がありえない、という状況の時に親戚の人達が「また元気になって遊びにきてくださいね。」と声をかけ、父も「そうしないといけないですね」という返事をしていました。治癒しない段階での告知を受けるとそういう話はできませんね。逆に残りがあまりないから、中身の濃い話になるのでしょうか・・・・。自分だったらそういう場合、見舞の方にまともな対応できるのかどうか、不安です。「死にたくないよう」と泣いたり「誰にも会わないぞ」とダダをこねるのではないでしょうか。
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