慢性膵炎ノート

明るく!慢性膵炎生活

慢性膵炎体験談

ひよさん   (2009年7月)
 
  夫の重症急性膵炎発症から1年たち、ようやく先日主治医から「今回のデータからはほぼ良くなってきていますので、元のかかりつけ医の先生 に経過観察していただき、何かあればこちら(救急総合病院)受診ということにしましょう。」というお言葉をいただきました。発症当初から こちらのHPで皆さんの体験談を読ませていただき、色々勉強したり励 まされたりしました。この機会に夫の記録をまとめてみようと思い寄せさせていただきました。

  2008年6月発症の2、3ヶ月前からお腹が引きつるような痛みがありました。元々胃潰瘍の病歴持ちだったので胃の痛みかと思っていました。かかりつけ医で薬を処方してもらいましたが効果が感じられず(当たり前ですが)2日前には薬も変更されました。その日の明け方いきなりお腹が痛いと寝ていた私を夫が起こしました。その言葉と同時に噴水のように嘔吐。食べたものは全く消化されない状態で出てきました。昨夜の食事は実家にお呼ばれで、少しはお酒も入っていましたが食後6時間以上も経っているのに未消化の食べ物が出るなんて胃が全く機能してない証拠です。しかしその日は日曜日。嘔吐したら少し楽になったのか「今日は1日寝る」とそのままベッドに。けれども昼になっても一向に良くならず、お昼に飲んだ薬も吐いてしまいました。2時頃かかりつけ病院に電話。主治医はいませんが看護師さんが先生に連絡取ってみますと言ってくださいました。間もなく主治医より電話があり「胃薬は手元にあるか」と。私「市販薬のパンシ○があります」「飲ませてみなさい。30分くらいして様子を聞くから」と。30分後の電話で「先生全く痛み変わりません。むしろ痛いです」と。主治医より既往歴と経過の連絡を入れておくので近くの日曜当番医に行くよう勧められました。車で5分くらいの距離ですぐ着きましたが予想外のことが。日曜当番医は心療内科の個人病院。「痛み止めと水分補給してあげたいけど、うちは点滴キット置いてないんですよね」ああ、なんてことでしょう。隣の市の救急病院へ行くか、近くに日曜日に診療している個人内科病院がありますとのこと。早く痛み止めを!という思いと、救急車や救急病院の安易な受診(実は全く見当違いでしたが)がニュースに取り上げられていた頃でしたので、個人の内科病院へ行くことにしました。幸いすぐに診ていただき痛み止めの点滴が始まりましたがこの頃から更に痛みの増強と熱が出始めました。点滴が3分の1くらい入ったところで先生から「普通の胃の痛みなら少し改善傾向が見られるのですが、これは胃穿孔しているかもしれません。すぐ救急車の手配をしますから救急病院へ運びましょう」と。その頃には息も絶え絶え。自分では起き上がることも出来ませんでした。
  救急病院へ到着。すぐに診察、検査の運びとなりましたが先生から「どうも膵臓みたいですね」と。「はあ?膵臓ですかあ。」というのが私の感想。そんなこと考えてもみませんでしたし、膵臓って何の働きしてるんだっけ?って感じです。あたふたと入院手続きの運びとなりました。幸いだったのはこの病院に「肝胆膵センター」があったこと。病棟に移り救急から肝胆膵の主治医に引きつがれました。主治医は私に「今晩、ここに来なかったら命はありませんでしたよ。」と言いましたが、まだ、この時点でこの言葉の意味が充分理解は出来ませんでした。アミラーゼ1838 CTにてグレード4の膵炎所見でした。絶飲絶食。フサン等の持続点滴。痛み止め、熱冷まし、吐き気止めの注射が時間ごとに行われ始めました。お腹はパンパン。妊婦さんのように膨れていました。
  翌日、肝胆膵の主治医から重症急性膵炎は特定疾患で医療費の助成制度があるから保健所へ手続きに行くように勧められました。必要な書類も既に用意されていました。これは申請したその日から有効だが、発症までさか上っての助成はないので出来るだけ早く行くこと。症状は急変するかもしれないのでその時は開腹手術になる可能性があることも告げられました。私としては、昨晩、やっとここへたどり着いて原因がわかって治療が開始されたのだから、これからは回復に向かうと思っていたのです。相談室から病室へ帰る私の体を風が吹き抜けていくような感じでした。すれ違う人も自分の体を通過していくような奇妙な感じでした。まるでSF映画を見ているみたいです。この時初めてこの病気の恐ろしさを感じました。その日から金曜日まで私の手帳は空白状態です。退院の日まで個室でしたので一緒に寝泊まりしました。金曜日の手帳にようやく痛み止めと熱冷ましの注射の時間が記されています。時間が早く来ればいいのにと思いながら過ごしていました。入院9日目に1度も便が出ていないので浣腸しましたが、わずかな便の量でした。まだ、熱冷ましも痛み止めも使って1日中朦朧としていましたが、睡眠剤が処方され、翌朝は「朝の目覚めがよい」と手帳に書いています。この頃から多分経口の水分補給が始まったと思います。
 
   12日目。いきなり水様便が出たと思ったら、この日から3日間、ずーっと出っぱなし。全くの水状態。先生は「どんな形でも出る方が良いのです。」と言ってくれましたが、ベットから起きられない状態で本人はとてもつらかったと思います。
 
   13日目。エレンタールが処方されました。マズイ。
 
   14日目。膵臓食1が始まる。ほとんど噛まずに食べられる。マズイ。
 
   この頃にはアミラーゼ値も落ち着いてきました。
 
   16日目。少し車椅子に座ってみるがすぐにベッドへ。ようやく下痢だが水ではなくなってきました。
  後で聞いた話ですが、この頃みかんを搾った後の白いカスのような便が出たとのこと。私はこのプログで読んだ脂肪便のことだと愕然としました。
 
   18日目。点滴中止。もう入る血管が無くなりました。
 
   19日目。膵臓食2開始。いきなりアミラーゼが上昇。翌日からは止まっていた下痢も再開。
 
   23日目。アミラーゼ389 フォイパン2錠を1日に3回飲み始める。
 
   26日目。血液検査は肝臓数値も高く、アミラーゼ180 CRP 0.2等、いろんな異常数値を並べながらも私が洗濯に行っている間に主治医に夫が退院を嘆願。かかりつけ病院(入院設備あり)で フォローすることであっさり退院許可。私は大丈夫なのかと不安一杯。
 
   でも、地域連帯病院なのでみんなどんどん退院していきます。仕方ないことです。栄養指導をされ脂肪分30グラム以下を言い渡されます。
 
   27日目。2ヶ月後の検査と診察予約票。かかりつけ主治医への手紙を持ってヘロヘロのまま退院。 私のこれから不安な2ヶ月が始まりました。
 
  かかりつけ病院へ手紙を持って行きました。当然入院を勧められましたが、夫はきっぱりお断り。家でおとなしくすること、禁酒、食事療法を守ること、通院をすること、必要なときは強制入院すること、を条件に家庭で過ごすことになりました。先生も長年の付き合いで夫には自宅療養が一番良いと判断されたようです。精神的にもかなり参っていましたから。退院してからもほとんど食欲はありませんでした。
  ところで、今回の膵炎はアルコール性のものだと肝胆膵の先生に判断されました。発症の前日は確かにおいしく飲みましたが、普段は週に1回350mlの缶ビール1本くらいです。後にこれは訂正されます。

  退院1月後CT検査では少しは良くなっているかと思っていた先生の期待を裏切って、退院時と少しも変わらない状態でした。膵臓に2つの大きな嚢胞と腎臓周辺の膵液貯留がみられるとのこと。お腹の中は火傷状だねと説明されました。
  週に2・3回点滴をしてもらっていましたが、この頃から背中が痛いと訴えるようになりました。
 
  退院2ヶ月後。救急病院の診察日です。
  アミラーゼ379 最初にあまりの痛さを経験した夫はこのくらいの痛さはある程度仕方ないと思っていたのか先生に痛みの訴えはあまりしませんでした。先生ももう少し経過観察ということで、かかりつけ医への手紙と4ヶ月後の予約票を持って帰りました。
 
  が、その2週間後、いつもとは違うお腹の痛みを訴え、かかりつけ医で点滴をしてもらっている間に出てきた血液検査でアミラーゼ1500を記録。すぐに救急病院の主治医に連絡。そのまま転院、入院となりました。
  前回と同じく絶飲絶食。点滴。安静。主治医からは今回は軽いですと言われてホッ。熱もそれほど高くなく、5日目に点滴が入る血管が見つからないことをきっかけに終了。膵臓食が始まりました。
 
  7日目。石の疑いがあることを告げられMRCPをしました。夜の回診で「総胆管結石がありました。2つも」と。
 
  9日目。ERCPにて十二指腸乳頭部切開術(EST)胆道砕石術を経てステント留置術が行われました。
  実は最初の入院で胃カメラを挿入時、麻酔の筋注を忘れられたのです。
  耳元で看護婦さんが「先生、麻酔の筋注忘れました!」。先生は「もういいい。カメラ入れ始めてる」。膵炎でお腹は痛いし、動けないし(横も向けない)、気持ち悪いでメチャクチャな時にゴーッと胃カメラが入ってくるというとんでもない事態を経験した主人。主治医からERCPの説明を受けた後一言「記憶を飛ばすくらい麻酔しないとしません」。先生は、ぼんやりと意識があるくらいでないと逆に危険なことを説明されました。いざ始めたときは結構しっかり効かせてくださり、ほとんど記憶はありません。でも、ベットへ乗り換えるときに意識朦朧で点滴を引き抜き血まみれになりました。ただでさえ血管が見つからないのに、先生必死でした。
  その後のアミラーゼ上昇もなく、フサンに蕁麻疹が出るということもあり点滴も翌朝には取れました。先生曰く「これまでに、かなりフサン打ったのに急にアレルギーが出たね。次になったときはFOYにしよう」。先生もうなりたくありません。
 
   12日目。まだ本調子ではありませんでしたが1ヶ月後に外来でステント抜去の予約票と、かかりつけ医への手紙を持って退院となりました。
 
  退院後はフォイパン、ガスターの飲み薬を継続。
  ステント留置から47日目に外来にて抜去。オエッ
 
  その後、かかりつけ医でフォローしてもらい、飲み薬の継続。時々痛みがあったので、これも飲み薬の痛み止めを処方してもらいました。
  退院後は仕事のこと等かなりストレスの多い日々を送っていました。

  お正月明けに予定していた救急病院での受診。
  やはり膵臓周辺に2つ大きな嚢胞があるので無理をしないようにとのこと。自然に時間と共に吸収されるのを待ちましょう。でも、この1つはある程度残るかもしれませんねと言われました。
 
  今でもお腹の中にボールが入っているような違和感が続きます。日によってピンポン球くらいになったりテニスボールくらいになったり。かかりつけ医の別の先生からも(外科医)「昔は開腹したら膵臓がスポンジみたいにスカスカになっている人が沢山いたよ。今は画像診断がよいから早期に治療して助かる人も増えたけどね。検査結果が良くても2・3年は何となく違和感があるものだから養生しないといけないよ」と言われています。
ただ、春頃から右の背中が痛く、もしや石?と心配していました。血液検査上はアミラーゼだけ高く、後の数値が良いし、食生活が改善されて体重も30kg減ったので(発症時100kg超ありました)石の可能性は少ないと言われました。痛みも波はあるものの、食事とはあまり関係ありませんでした。かかりつけ医に漢方薬も処方していただき(フォイパン・ガスターは継続)何となく曇りくらいで過ごしていました。ここで、先生から衝撃の告白!「食生活が改善されて体重が減った今だから言いますけどね。あの時は肥満で内臓周辺に脂肪が沢山付いていたから命拾いしたんですよ。普通の人だったら、内臓が溶けて多臓器不全で死んでます。内臓脂肪がクッションになりましたね」と。こんなこともあるんですね。やったねメタボ!
 
  今月に入って救急病院での定期受診。膵臓は通常より大きいけれど画像上ハッキリと写り炎症症状がない。嚢胞は膵臓周辺に1つ、腎臓周辺に1つ残っているけど、特別これらが悪さをするとは考えられないので心配ない。アミラーゼは300代だけど肝指数や炎症反応がないので問題ない。アミラーゼは目安にはなるけれど他の検査項目と複合的に考えなくてはいけません。と言われました。
  でも念のため、MRCPで石の有無をみましたが、これも問題ありませんでした。
 
  ということで、晴れて救急病院を卒業しました。
  とは言っても、かかりつけ医にて今後もフォローしていただくことになりました。
  フォイパン・タケプロンは継続しています。
  痛みに関しては、これまでの経過と既往歴の痛みとで神経過敏になっている面がかなりあり(背中をさすっても飛び上がるほど痛い時がある)テグレトールという神経痛の薬を処方されました。これかなり眠気が強く、調整までに時間を要しましたが結構良い感じのようです。スッキリではないけど激しい痛みではないようです。
  食事の面でも、低脂質な食生活を継続。アルコールも時々キリンフリ○ ーを楽しみ、今後も控えていく予定。
  発症前にかなりの偏頭痛持ちで痛み止めの乱用をしていたのですが、今回のことをきっかけに適切な量まで減らすことが出来ました。痛み止めの乱用は(痛いから飲まずにはいられないのだけど)益々痛みを増強させるのですね。
 
  仕事をする上でのストレスは避けられませんが、休める時には休んで、規則正しい生活をするように心がけます。
  この1年を振り返って、食事の力ってすごいなあと感じています。こんなに食べ物が症状や検査値に反映されるなんて今まで思ってもいませんでした。皆さんの情報を参考にこれからも、おいしく食べられる低脂質な食事を目指します!出来ることなら慢性膵炎への移行を食い止めるべく、妻として食事面でのフォローを頑張っていくつもりです。

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