慢性膵炎ノート

明るく!慢性膵炎生活

慢性膵炎体験談

あゆさん(続報)   (2008年2月)
 
   (2006年1月にUPさせていだいた体験談の続報です。)

慢性膵炎を発症して2年半強。その間、投薬と食事療法で落ち着いていた期間もありましたが、2007年春先からは強い痛みが続くことが多く、痛みで食事が取れなくなり4月と9月に絶食入院しました。それ以外の期間も痛みが続くことが多く、フサンの点滴で誤魔かしながら仕事を続けていました。

しかし、かかりつけ医から「貴女のアミラーゼの値はお酒を飲む人なら良く出る程度の値です。それなのにこれほど痛みが強いということは、何らかの原因があると考えられます。ですから、いつまでも対処療法を続けていないで、原因追及をしっかりやって、治療法を見つけたほうが良いです。」とアドバイスされ、ずっと避けていたERCPをすることとなり、10月30日に総合病院に入院となりました。

ERCPはリスクの高い検査です。そのため、検査の3日前に、家族同席で主治医から以下のような説明がありました。

まず、腹痛の原因について。
これは、3年前の膵炎疑惑発生時の検査で色々やった結果、膵臓以外は除外されている。
アミラーゼ、リパーゼ、エラスターゼ1の上昇があり、画像上は慢性膵炎の所見(繊維化、石灰化、膵菅の蛇行)はないが、膵臓が肥大・・・腫れていることは確認できる。
このことから、腹痛の原因は膵炎としか考えられない

次に膵炎の原因について。
膵炎の原因にはアルコール性、胆石性もあるけれども、女性の膵炎は原因不明であるものが一番多い。しかし、最近原因不明と言われてきたものの中で、原因が判明してきたものがあり、私の場合は十二指腸乳頭括約筋機能異常→この可能性が考えられると言われました
そのため、ERCPをして、十二指腸乳頭括約筋を切り開き、膵菅にステントといわれる管を挿入し、膵液の流れを良くすることで、度重なっている膵炎の発作を防止しようという狙いがあるとのこと。
検査のリスクとしては急性膵炎と十二指腸尖孔があり、私のように既に膵炎持ち、且つ若い女性の場合は急性膵炎のリスクが高まるとのことでした。
更に、ごくごく稀に重症急性膵炎になって、ICU送りになることがあり(確率0.01%)、ICUでも救命できずに死亡することもありうる。
また、何事もなく手技が成功しても、痛みが必ずしも取れる保証はない。
そして、膵菅ステントは1~3ヶ月ごとに入れ換える必要がある、と言われました。
リスクはあっても、痛みから解放される可能性があるならやってください、ということでお願いしました。

2007年11月7日の午後からいよいよERCP + 膵管口切開となりました。

ERCPをしてみると、当初の見込みとは違い、十二指腸乳頭の機能には全く問題はなかったそうです。
そのかわり、胆嚢摘出の影響で胆管が大きくなっており、(これは胆嚢摘出すると誰もがなるようです)、胆汁の勢いが強すぎて、膵管と胆管の合流地点で膵菅から出てくる膵液の流れを邪魔していたようです。しかし、膵管像はとてもきれいで正常に近かったし、膵管を切開するのはリスクが高いので、膵管ではなく胆管を切開して出口を分け、膵液を出やすくする処置をしたそうです。
また、造影剤を流し入れると膵菅の中に滞留する=膵液の流れが悪いので、ステントも挿入したとのこと。
主治医によると、当初は一ヶ月後ぐらいに再度ERCPをして、ステントを抜去する予定だったそうです。

検査後、ぐったりしながら個室へ。
家族に会った時の私の第一声は「お腹が痛い」でした。
ERCPというものはお腹が痛くなるのかな・・・とこのときは思っていました。
検査後の血液検査の結果が出るまではベッド上安静、とのことだったので待機。
その結果はアミラーゼが300と高く出たために、引き続きベッド上安静を言い渡され、トイレも自力で行かないよう言われました。

この日の夕方あたりから地獄が始まりました・・・。
のたうちまわるほどの激痛に強烈な吐き気。食べてないので出るのは緑色の胆汁ばかり。
痛み止めは4時間おきにしか使って貰えないのに、効果があるのは2時間。だから、残り2時間がずっと地獄でした。
痛み止めは最初はペンタジンを使っていたそうですが、あまり効かなかった上に中毒になることがあるので、途中から塩酸ペチジンに変わったそうです。それも、看護師さんが「先生、これ点滴で入れるのですか?」と確認してしまうような量を静脈注射で入れていたとのこと。
それぐらい痛みが治まらなかったのです・・・。

夜中吐き続け、翌朝8日の採血。この段階でアミラーゼは2900、白血球は12000でした。
一晩でアミラーゼが10倍になりました。
そして、夕方のこと。
主治医がいらっしゃって、前日の検査後のレントゲン写真を使ってステント挿入の説明をしました。
そして、私が急性膵炎を起こしている原因は、ステントしか考えられないので、『今からステントを抜去します』とのこと。
カンベンしてよ、と思いましたが、といって逃げるわけにもいかず、二日連続のERCPに臨みました。つまりは、ステントに対する拒絶反応であったようです。ERCPによる重症急性膵炎は10000分の1の確率とあったので、 私が特異な体質だったということになるのではなのでしょうか。

二度目のERCPの後も一晩中激痛と吐き気との戦いでした。
そして、この日あたりから、自分のお腹がぽっこり膨らんでいるのを感じはじめました。
腹水が溜りはじめていたのです。また、お腹も素人が触ってもわかるほど硬くなっており、驚くほど尿の量が減っていました。

さて、夜が明けて11月9日。ERCPから3日目の採血です。
アミラーゼは4779、白血球12800、CRPは8.06になっていました。
一晩でさらに倍!です。ここまで来ると悲壮感より、凄いという驚きの感情のほうが先でした。
朝の主治医の回診ではお腹に少し触れるだけで痛くて、「え?これで痛いの?」と驚くほどでした。

そして、この日の午前中・・・痛み止めが効いている時間帯のはずなのに、突然左胸と背中に電気が走っているような強い痛みに襲われナースコールしました。
主治医は内視鏡検査中のため、担当医の先生がいらして「痛い!息ができない!」と訴える私に「すぐにCTを撮りましょう」ということになりました。
CT検査の後、主治医から次のようなことを伝えられました。
腹水と胸水が溜っていて、腹膜が炎症を起こしており、重症急性膵炎と認定されたとのこと。
そして、「このままの保存療法でも治るとは思いますが、早期の治療&痛みの緩和のために、ICUに移ってフサンの動注療法を5~7日間受けて頂きます」
とのことでした。

重症急性膵炎が命に関わる病気だという知識はあったものの、既に意識朦朧としかけていた私は、ああ、そうですか、という感覚でしかありませんでした。
急性膵炎には軽症、中症、重症とあり、重症の中でも更に1、2、3と分かれているそうですが、私は重症の「重症度1」だったそうです。

主治医の説明の後、すぐに動脈カテーテルを入れる処置に入りました。
動脈カテーテルは足の付け根の動脈にカテーテルをいれ、腹部大動脈→上腸間膜動脈まで持っていき、そこでフサンと抗生剤を撒く、というもの。
動脈カテーテルはひとつ間違えると命に関わるらしく、主治医、担当医、その他諸々(笑)・・・看護師さんもあわせて7人に見守られた中で行われました。
そして、このあとICUへ。
途中意識が飛んでおり、気が付いたらお腹の痛みがだいぶ治まって、上向きに寝かされていました。膵炎持ちの方ならお分かりになるでしょうが、痛いときに上向きに寝るのはとても辛いことです。なのに、上向きに寝ても平気・・・強い痛み止めが使われたということですね。
ICUの看護師さんに「ここでは痛いのは我慢しなくていいんですよ」
と言われ、すごくホッとしたのを覚えています。

実際に痛み止めとして使われたのは「フェンタニル」という、医療用麻薬
これが点滴で10分おきに持続的に投与されました。
後で来られた主治医に「痛いのを我慢しなくていいのが良いです」と一番に言ったほど、痛みからの解放が嬉しかったです。
さて、痛みが楽になったのは良いことでしたが、ICUというところは恐ろしい所でした。
まず、動脈カテーテルが入っているため、絶対に足を動かしてはいけない。
当然、寝返りは打てず、クッション等で10度傾けるのが限界。
24時間電気がついていて明るく、ずっと響き続けるモニター音・・・。
従って、 体は毎日楽になっているのに、精神的には段々追い詰められ、最後のあたりなど、物凄く狭いところに無理矢理に寝かされているような、軽い幻想に捕われていました。
尿管を入れられ、右足に動脈カテーテル。左手からは輸液の点滴。首には中心静脈カテーテル。胸に心電図、口に酸素マスク。
左手か右手か忘れたけど、指に酸素を測る機械、そして右腕に常に血圧測定器が巻かれていました。
さらに熱がずっと8度ぐらいあったため、頭に氷枕、脇にもアイスノン。全身ガチガチでした。
モニターでは血圧が130ー80で、脈拍100ちょっととなっていました。普段の血圧が90ー60ぐらいなので、異常事態です。

さて。フサンの動注療法を初めて半日たった11月10日朝の採血。
なんとアミラーゼが半減し2000台になっていました。一晩で倍に増えたものが、一晩で元通りになったのです。
フサンって凄い!前々から点滴でも効果を即感じられていたので、私によく効く薬でもあったのでしょう。
ただ、半減したこの日も意識はまだ朦朧。面会に家族が来ているのに、話しながら寝てしまっていました。ただ、本人は寝ているつもりでも、面会に来ている方からすると、意識を失っているように見えたようで、家族は危篤!?と思ったようです。

ICU3日目、11月11日。
採血でアミラーゼがまた半減。1000台に落ちました。毎日半減。私の治癒力って凄いかも。

ICU4日目、11月12日。
採血でアミラーゼ更に半減。600台にまで落ちました。こんなに早く良くなるなんて・・・とお医者様を驚かせました。主治医にこれだけ数値が良くなっているなら明日CTを撮ってみて、予定より1日早く切り上げて一般病棟に戻りましょう、と言われました。

ICU5日目の11月13日。アミラーゼは500台に。
そして、CT検査が行われました。CTの結果は上々とのことでした。特筆すべきは、4日間の動注療法によって、慢性膵炎で肥大していた膵臓全体が小さくなっていたこと!です。主治医もびっくりでした。

11月14日。
ERCPから8日目、ICUに入って6日目。無事にICUを出て、一般病棟に戻りました。
入ったのはナースステーション横の部屋。
安静度は「ベッドに座るまで」と言われたけど、座った途端クラクラしてバタリ。座っていられません。お腹もまだまだ痛く、ICUから一緒に連れてきた、ボタンを押すとフェンタニルが自動的に注入されるというものを、お守りのように握り締めていました。

さて。
フサンの動注療法で500台までアミラーゼが下がっていましたが、動注をやめた途端リバウンドです。一般病棟に戻ってきた翌日15日の血液検査の主な異常値は以下の通りでした。

GOT112↑(8~35)
GPT227↑(5~43)
ALP407↑(104~338)
LDH272↑(106~211)
γーGTP266↑(5~50)
血糖値121↑(70~110)
CRP5.64(0~0.50)
アミラーゼ911↑(30~120)


肝機能が悪いとは聞いていたけど、実際に数値で見てびっくり。基準値の3~5倍ばかりです。
肝機能が悪いのは、おそらく抗生剤のせいだろう・・・と言われ戻ってきた翌日から抗生剤がかわりました。
ナースステーション横にいたのは丸3日間。
この間に体調は目に見えて良くなり、抗生剤が代わったおかげで肝機能も少しずつよくなっていきました。

三日目の夜(11月16日)、翌日に希望を出していた個室がようやく空いたと聞かされました。
この日担当の看護師さんに「個室に移ったら尿管抜いても大丈夫じゃないかな?」と言われたので、個室に移ることになった当日(=11月17日)の朝、主治医に直訴しました。
「個室に移るので尿管抜いてください!」尿量をちゃんと測ること、という条件付きで許可がでました。
また、同じ日、主治医がお腹を触診すると、堅かった部分がかなり減っていたみたいで、「良かった良かった」と主治医も本当に嬉しそうでした。
その後、個室に移って、無事尿管を抜いてもらい、立とうとしたら・・・立てない!
10日間寝ていたら立てなくなるのです。びっくりです。でも、何度か立つ練習をしていたら、ヨロヨロながら、立てるようになりました。

11月22日。CT検査がありました。そして、水が解禁になりました。
さらに、翌日23日に「そのままだときついかもしれないから、ジュースを水で薄めて飲んでみて」とのお達しが!
ジュースの水割り!?そんなもの飲めるの!?と思ったけど、恐る恐る試してみました。
まずはポカリスウェットの水割りから。意外といけるかも?
3週間も何も食べてないだけに、水割りでも結構味を感じられておいしかったです。
翌日は、ゆず茶、リンゴジュースを水割りしてみましたが、どれもそこそこ
しかし、ポカリは大丈夫だったけど、リンゴジュースだとお腹にずしっと堪えました。あまり無理はしないほうがいいと言われたので、ちょびちょびと飲みながら、少しずつ増やしていきました。
CT検査結果は、結論を先にいうと思わしくなかったです。

腹水、胸水、膵臓の炎症はなくなったけど、膵頭部が大きくなったまま
主治医によると、明らかに他のERCP後におこる急性膵炎の経緯とは異なるそうです。
急性膵炎の場合は腫れていた膵臓がしゅっと萎んで終わりになるそうで。
膵頭部だけ腫れが引かない原因としては、元々慢性膵炎の病態がそこにあるからだろうと考えられ、時間をかけて経緯を見ていくしかなく、いつ腫れが引くとははっきりと言えない、と言われました。アミラーゼの下がりが非常にゆっくりであるのも、普通の急性膵炎とは違うそう。
アミラーゼ1000の次の日に200、その翌日50、というような下がり方をするのが一般的な急性膵炎。

ところが私の場合は次のとおりでした。

        アミラーゼ   CRP
11月18日  825↑   1.18↑
11月20日  657↑   0.72↑
11月22日  578↑   0.37  
11月26日  444↑   0.09  
11月29日  341↑


この通り、アミラーゼは一日に下がる量を決めているのか!?思うぐらい、ゆっくりでした。

11月30日
ずっと点滴台に付いていたフェンタニルの自動注入ポンプが取り外されることになりました。
いつまでも麻薬を使うのも良くないだろうと思っていましたし、1日1回ぐらいしか使っていませんでしたが、その一回というのがいつも夜中で、痛くて目が覚めて使う・・・というパターンだったので、ちょっと不安を感じました。
代わりに出された痛み止めはボルタレンサポ25mgの座薬です。効くのかなあ・・・・と一抹の不安がよぎりました。
病棟内歩行の許可も出て、主治医から飲み物指導もあり。
水解禁になって1週間も経つのに、このときはまだ果物のジュースを飲むとお腹にずしっと堪えていました。
先生によると、空腹時に酸っぱいものを飲むと吐き気が出るよと言われて、ベストは「お茶に砂糖を混ぜたもの」だと言われました。
日本茶に砂糖なんて気持ち悪いし(笑)、紅茶はカフェインが入っているから、ハーブティーにハチミツ混ぜて飲むことにしました。これだとあまりお腹に堪えないし、いい感じです。
また、飴も舐めていいよと言われました。

12月3日採血結果。アミラーゼ349↑ (基準値37~120)
概ね好転していますが、一つ問題発生。アミラーゼだけが微量ながら、前回より上がっていたのです。
実は、このアミラーゼアップの裏には黒糖飴事件があります。12月1日(土)の夕方、一個だけ黒糖飴を食べてみました。そしたら、夜の7時ごろから久しぶりに焼けつくような痛みに襲われました。
ボルタレンでは気休めにしかならず、久々に辛い痛みに耐えるハメに陥りました。飴は飴でも黄金糖の時は問題なかったのです。でも、何故か黒糖飴は激痛でした。
休み明けに主治医にボルタレンが効かなかったことを訴えると、ブスコパン静注を処方してくださいました。

12月5日、MRCP検査がありました。
MRCP検査をした目的は重症急性膵炎によって胆管や膵菅がおかしくなってないか、膵嚢胞が出来てないかを調べることだった模様です。
結果は、前回(9月)のMRCPとはあまり変わっておらず、膵菅、胆管は問題なく、膵膿胞もなかったそうです。

12月7日
ここのところ7度5分~7度ぐらいの熱が続いていたため、カテーテル感染の危険を考え、中心動脈カテーテルを抜きました。

12月10日
採血結果は、アミラーゼは304でした。
中心静脈点滴もやめたので、アミラーゼはほぼ横ばいでしたが、「ジュースでアミラーゼがあがったわけじゃないから、重湯も大丈夫でしょう。出してみるね」とのことで、お昼から食事再開になりました。というわけで、ホントに重湯のみの食事がでました。
でも、2、3口飲んだだけでお腹にズシッと堪えたので、初日は少ししか飲めなかったです。

12月11日
フサンの点滴がなくなりました。ツインパルという栄養剤のみ(一日800カロリー)に。

12月13日
ようやくアミラーゼが267にさがりました。(基準値30~120)
食事を再開して、フサンやめても数値が下がったということは、主治医の判断は正しかったということですね(^^)

12月14日
昼、夕と時間をかけて食べてみたら、重湯が8割食べられて痛みも出ませんでした。(^^)
これを主治医に伝えたら
「食事を始めても数値は下がっていることだし、明日からおかずつけてみようか。ご飯も五分がゆにしようね」と言って頂きました。
ということで、膵臓食2食という、5分がゆにきざみ食(離乳食のようなもの)に代わりました。

12月18日
膵臓食2食は水分が多すぎて到底完食できないと主治医に訴えたら、この日から食事がアップしました。
全がゆで、おかずはかなりしっかりしたものが出てきました。

12月20日
16日の採血でアミラーゼ264、この日の採血では262
相変わらず、アミラーゼはゆっくりゆっくりしかさがりません。
看護師さんは「膵臓食2食から3食にあげて、アミラーゼが跳ねあがる人もいるんですよ。あがってないから良しとしましょう」と慰めてくれました。

12月24日
11月17日以来ずっと個室にいましたが、そろそろ体調も良くなってきたので、イブのこの日、大部屋にかわることとしました。
また、この日より以前に看護師さんを通じて、年内退院したい旨を伝えていました。看護師さん経由で「多分大丈夫じゃないかな。まだ、わからないけど」という返事を頂いていたのですが、この夢はあっけなく砕かれてしまいます・・・。

12月25日
採血でアミラーゼが263から340まで跳ね上がってしまいました。
一ヶ月近くかけて落としてきた数字が一日でおじゃん。原因は大部屋?それとも23日に行った外出?

12月26日
エコー検査がありました。結果は、膵頭部が2センチの腫れ、膵体部が1センチの腫れだそう。
CTとは画像が違うから腫れが以前と比べて引いたかどうかは、比べがたいみたいです。
主治医曰く「アミラーゼの値をあまり気にしても仕方がない。大事なのは痛みをとること」だそうで
消化酵素剤を増やしてみようかということになり、なんとセブンイー・Pが一回3カプセル、一日9カプセルになりました。
私の膵頭部2センチ膵体部1センチの腫れは聞いても素人にはよくわかりません。
ですから、主治医に食いさがってきいてみました。
人によってはその大きさが正常な人もあるそうだけど、私の年齢や体格から考えると、大きい=腫れているといえるそうです。

12月27日
血液検査でアミラーゼが一気に242まで下がりました。喜んだのもつかの間、主治医からショッキングな言葉が・・・
「お正月どうするかそろそろ決断しなきゃいけないね」って言われてしまったのです!
私の場合、アミラーゼが150ぐらいでも痛い痛いと言うことがあるので、数値だけでは判断しては下さらないようです。
それに「いくら数値が下がったからと言っても痛いし食べられない状態で退院できないでしょう?」と。
確かに数値下がったというのに、今日も吐き気がしたり、痛かったりしてほとんど食べられませんでした。結局、年末年始は31日から2日までの二泊三日の外泊ということでカタがつきました。

1月4日
お正月の外泊から戻って、初の平日なので、久々の採血がありました。そしたら、年末28日にしたものと比べてアミラーゼが微増していました。 20増えて260です。
お正月でつい食べ過ぎたのが悪かったのか、ずっと、安静にしてなかったのが悪かったのか。
ただ、貧血状態は点滴がなかったにもかかわらず、随分と改善されていました。やはり、口から食べるのは大事なことのようです。

1月7日
今日の採血でアミラーゼが170に下がりました。ようやく基準値に近づいてきましたが、何故か朝から絶不調。吐き気がしてごはんが殆んど食べられず、痛みも強くてずっとぐったりしていました。
朝の回診で、お正月の外泊時にパンクレアチンを通常の倍飲んでみたら、たくさん食べても痛みがあまり出なかったという話をしたら、「じゃあ、パンクレアチンを倍にしてみましょう」ということになりました。これで、1回2g、1日6gの処方になりました。また、鎮痛剤はコスパノンをやめて、ブスコパンを食事ごとに常用することに。
せっかく数値は下がったけど、この日は体調が悪かったので、主治医に「数値はあまり重要じゃないから。大事なのは症状」ときっぱり言われてしまいました。

1月9日
朝からだるいなぁと思っていたら、午後2時頃から熱が出始めました。最初は7度5分。久々の熱に驚いていたら、測るたびにどんどん上がっていき、ガタガタ悪寒が始まりました。熱で体が震えるのは初体験です。午後三時半の段階で9度5分。
看護師さんは担当医のほうに連絡を取ってくださったのですが、担当医も忙しかったのか現れず、結局、夜の8時頃に主治医のほうが先に来られました。
症状を聴いて抗生剤の点滴と血液培養検査、尿検査を指示。
ボルタレンサポの座薬がよく効いて一時は7度2分まで下がったので安心していたのに、夜10時半頃からまた寒気がしてきて、11時にはまたガタガタ震え出しました。
熱が上がりきるまで解熱剤を使うのは待ったほうがいいというから、震えながらなんとか9度まで我慢。そこで解熱&鎮痛効果のあるロピオンの点滴をしましたが、使っている最中でもまだ熱があがったし、点滴終わっても8度4分までしか下がりません。夜中3時頃には再び9度超えです。
結局四時半ぐらいに再びボルサポ使ったら、やっと下がってようやく少し眠れました。

1月10日
熱のこともあるので、昨夜に引き続き、今朝も採血がありました。アミラーゼなんと132!
最小値を更新です。ただし、CRPは5.13と高値。これは熱のため。
熱の原因が膵臓にあると大変なので、次週にCTをすることになりました、
夕方、血液培養検査の結果が出ました。グラム陰性桿菌と呼ばれるものらしいです。わりとどこにでもいる菌だそうですが、敗血症を起こす危険性もあるため、抗生剤の点滴を数日間続けることとなりました。
熱が出始めた時から、噂に聞いていたカテーテル感染症と似てるんじゃないの?と思っていました。思うことは同じで、主治医も一番に点滴がはいっている腕をみていました。
ただ、点滴での感染症はあまり聞かないようですが、でも、先生は疑わしいのであれば抜きましょう!と点滴をいれかえました。そしたら、あら不思議。抜いたら熱が8度どまり。
やはり点滴が感染ルートだったのでしょうか。次々あり得ないことばかりが起こります。

1月12日
昨日のCT検査をしたので、その結果を聞きました。熱の原因になるようなものは腹部にはなく、前回(11月末)の時に主治医を悩ませた膵頭部の腫れも殆んど引いて、膵臓がほぼ正常な形になっていると言われました。急性膵炎を起こす前に撮った去年四月のCTと比べても、小葉構造ははっきりしないものの肥大はマシになっているそうです。
そして主治医から、「(血液中の)炎症反応が引いて、食べられるようになったら退院ですからね」との言葉をようやく頂きました。

1月16日
15日の採血結果はアミラーゼ174(基準値30~120)、CRP0.59(基準値0~0.50)でした。
また、同じく15日から抗生剤の点滴がなくなったおかげで、副作用だった吐き気が治まりました。
それは良かったけど、吐き気がなくなったことで、急に食べる量が増やしたのがいけなかったのか、昨日は食べるたび2~3時間痛んで、ブスコパン静注を2回もしてしまいました。
主治医は数値に関してはノーコメントで、触診では「たいしたことない」と言われ、「食べる量を頑張って増やしていきましょうね」とだけ言って去っていかれました。
つまりは食べて痛くなければ退院させていただけるようです。

1月18日
朝の採血ではアミラーゼ177
先日から担当医に「次回の採血でアミラーゼが150切っていたら退院考えましょうね」と言われていました。結果は微妙な数値です。
主治医は、「もう少し様子見て退院の日を決めましょうね」と仰いました。
しかし、次に現れた担当医が「土日、試しに外泊してみて、大丈夫なら退院ってことにしようか」
と提案。
主治医も了解されたとのことで、消灯20分前になって、いきなり翌日・翌々日の外泊決定。
バタバタと自宅に電話するハメとなりました。

1月21日
外泊時に特に痛みが出たこともなく、自宅のほうがよく眠れたことを主治医に伝えました。
そして、ようやく1月24日退院とあいなりました。なんと87日間に及ぶ、長期入院でした。

何しろ長期間だったので、病棟の看護師さんの名前は全員覚えたし、お世話にならなかった人は1人としていない、と言っても過言ではありません。私の入院した病院は基本的に急性期病院なので、3ヶ月もの長期にわたった入院は珍しかったことでしょう。
「こんな若い患者さんでこんなに入院長かった人は初めてです」と4年目の看護師さんに言われました。
主治医に担当医、そして看護師さんがとても真摯に良くしてくださったので、とても辛い重症急性膵炎を乗り切ることができました。感謝です。
今の処方は、フォイパン一回2錠、一日6錠。ガスター一回1錠、朝夕のみ。セブンイー・P一回3錠一日9錠←通常の3倍。パンクレアチン一回2グラム、一日6グラム←通常の2倍。ブスコパン1回1錠毎食後、ボルタレンサポ25mg―頓服となっています。

 (なお、この入院記は、あゆさんご自身が入院中にご自身のブログに綴られていたものを今回の寄稿用に
  まとめられたものです。----管理人記)
 

                *      *      *      *      *      *      *              

ご自身の体験を提供されたい、提供してよいという方は こちらのアドレスにお寄せください。寄稿後の内容の編集・削除の希望についても同アドレスにていつでも受け付けています。

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